アホな先生だったが
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アホな先生だったが
ということで、高校生だった頃かな、ちょっと赤がかった先生が、「書いたものは信用するな。自分で確かめたものしか信じるな」と言った。
もちろんそんな言葉に納得するようなぼくらじゃなかったので、「個人が実際に行って確かめられるものなんかたかが知れている。本に書いたものを信じないと学問そのものが成り立たないじゃないか」と反発したのを覚えている。
歳をとって思い返すのだが、先生の気持ちも分からぬでもないと思うようになるものである。
TVの旅行番組や、事件の起きたニュース番組を見ていると、かつて自分が訪問した国が出てくる。
すると、その国の空気とか、人間とか、いい思い出、能量水 悪い思い出が一瞬のうちに蘇って来るのである。
同じ旅行記、同じニュースでも、実際に行ったことがあるかないかによって理解度が全く異なってくるのは当たり前だろうが、この違いは思いのほか重要ではないだろうか。
もちろん旅行で短期間訪れただけでその国のことを知った気になるのは滑稽である以上に危険なことであろうが、その理解度には計り知れない差が生じるのではないだろうか。
そういう意味で、能量水高校生時代のアホな先生はまんざら間違ってはいないのである。
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何を言いたいかというと、ジャーナリズムである。
現在世界のあちこちで紛争が起きている。
理解するには自分の目で確かめなければ何も信じられない鑽石水。
だが、実際に現場に行くか?
いくら興味があっても行けるわけないだろう。
そういう(危険な)場所に行くのはジャーナリストの仕事である。
死ぬかも知れない。
だが、それがジャーナリストという仕事そのものなのである。
現場に行って危険に身を晒さないのはジャーナリストではないのである。
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もちろんそのジャーナリストが真実を理解しているとは限らない。
彼もぼくらボンクラ旅行者と大差はない。
分かった気になっているだけだ。
だが、実際に行ったことがあるジャーナリストと単なる評論家とでは、雲泥の差があるのである。
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